【授業】「主体的・対話的で深い学び」の先にあるものは?その1【学習指導要領・臨時休校でしたいこと】
臨時休校の間にやりたいこと。
学習指導要領を読み込んでいる。
・高等学校学習指導要領解説 総則編
・高等学校学習指導要領解説 数学編 理数編
・高等学校学習指導要領比較対照表【総則】
・高等学校学習指導要領比較対照表【数学】
この数日でこれらを読み込んだ。
教科書が木の葉っぱなら、
数学の学習指導要領は木の幹、
学習指導要領の総則が木の根っことなる。
私なりに考えたことを書く。
学習指導要領の総則と数学編。
2つを読み込み,私の頭に浮かんだのが次の歯車である。
違和感を覚えた。
私の授業の中心は,生徒の「わからなさ」。
生徒が「わからなさ」と向き合う。
そして,自己決定による対話を生かして,「わかる」ようになる。
「わかる」ことで次の「わかりたい!」に向かうことができる。
主体的学び=「わからなさ」と向き合う,
対話的学び=自己決定による対話を生かす,
深い学び=「わかる」ことで次の学びに向かう,このような関係だろうか。
しかし,私の授業では「主体的・対話的で深い学び」の歯車だけを回して,
生徒の「資質・能力」を育もうとしていた。
いつの間にか「自己流」のやり方になっていたのだ。
これが違和感の正体。
総則の第3款「教育課程の実施と学習評価」の1「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」には次のように書かれている。
「単元や題材など内容や時間のまとまりを見通しながら,
生徒の主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を行うこと。
特に,各教科・科目等において身に付けた知識及び技能を活用したり,
思考力,判断力,表現力等や学びに向かう力,人間性等を発揮させたりして,
学習の対象となる物事を捉え思考することにより,
各教科・科目等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方(以下「見方・考え方」という。)が鍛えられていく」
「主体的・対話的で深い学び」がゴールではない。その先に何を見据えるのか。
総則では「見方・考え方」という言葉が出てくる。
「数学的な見方・考え方」がすっぽりと抜けていた。
では、「数学的な見方・考え方」とは何か?
続きは次回。